義経と弁慶ゆかりの地、鎌倉・腰越漁港さんぽ

平安時代の武将、源義経。

鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝と異母兄弟で、幼名は牛若丸。

このくらいは、歴史が不得意な私レベルでも知っていること。

剣術・戦術にも長けた美少年。

源平合戦で活躍したにもかかわらず、兄弟の亀裂を修復できず、

悲しい最期を遂げたという話は、なんとなく聞いたことがあります。

これ以上義経の歴史に触れても、もともと歴史がお好きな方の知識は

超えられそうにありませんのでやめておきますが(笑)、

今日はその義経、弁慶ゆかりの地、腰越を散歩してみました。

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満福寺に残される「腰越状」とは?

線路を走る江ノ電がちょっとだけ路面電車化する、

ここ鎌倉・腰越には「満福寺」という真言宗の寺院があります。

場所は駅から海岸方面へ少し歩いた細い路地裏。

江ノ電が通過する踏切のすぐそばにのぼりが立っていますので、

初めて訪れた方でもきっとすぐに分かります。

こちらのお寺は、天平16年、行基によって開創されたそうですが、

源義経の歴史に触れる上では絶対にはずせないポイントなのだそうです。

それは、義経が兄・頼朝に宛てた手紙

「腰越状」(の下書き)を書いた場所だから。

ん?…私は腰越状を知らない。聞いたこともない。

はい、私の歴史の知識などその程度のものです(苦笑)。

というわけで、不得意ながらちょっとだけ調べてみました。

父親の仇である平家を討った義経でしたが、三種の神器は奪還できず、

さらに後白河上皇から官位をいただいてしまったことを

兄・頼朝は許すことができずに戦にまで発展してしまったという話。

戦で兄に追い込まれた義経は、それで奥州で自害したんですね…。

壮絶な兄弟げんか? 確かに悲しい。

腰越状はつまり、弟から兄への弁明の手紙。

鎌倉での面会を拒絶された義経が、

兄に「どうして?」と訴えた手紙だったんですね。

そんな源氏ゆかりの寺、満福寺ですが、ここは義経だけでなく、

腰掛石、手玉石、腰越状を書くための墨を摺る水を汲んだ硯の池など、

相棒・弁慶ゆかりのものもたくさん残されています。

ちょっと足を伸ばして腰越の港へ

今回はこちらをご紹介しようと思っていたところ、

実は、いま日本中を騒がせているアレで参拝が難しそうだったので、

少し足を伸ばして、腰越の漁港まで行ってみることにしました。

湘南の海というと、由比ガ浜、七里ガ浜、江ノ島が

パッと思い浮かぶのではないかなと思いますが、

ここ腰越にも当然漁港はあり、新鮮なお魚が手に入るスポットなんです。

近くには生しらす丼で行列ができるほど人気のお店があったり、

水揚げされたばかりの魚をフライにして提供してくれる

漁港内直売所などもあったりと、実は密かに楽しい場所なんですよ!

ちなみに、直売所でのフライや天ぷらの販売は午後から。

テーブル席もあって、その場で揚げたてアツアツを食べることもできます。

鎌倉名物・生しらすは、直売所の向かい側にある小屋で販売されています。

せっかくなので漁港の中をふらりと散策してみると、

仲良く釣りをしている親子やドライブ中に立ち寄ったカップルがいっぱい。

朝とれた魚を捌いたり、洗ったり、仕事道具の手入れをしたり、

湘南の海人たちが額に汗して働く姿も目にすることができます。

長いことここに暮らしていながら、

初めて見て驚いてしまったのはタコの洗い方!

ドラム式洗濯機のような機械の中に詰め込まれたタコがぐるぐる…!

洗濯機の勢いが強いからか、飛び出してしまうタコさんもいました。

「タコってこんなふうに洗うんだ…」とボソッとつぶやいたら、

近くにいた漁師さんが真っ白い歯をニッと見せて、笑ってくれました。

歴史にも、人の温かさに触れられる腰越。

すぐ目の前には江ノ島海岸が広がり、

お天気のいい日は富士山がきれいに見える腰越。

ここにはたくさんの楽しい出会いがあります。

ぜひ皆さんも、鎌倉へお越しの際は腰越にも足を伸ばしてみてくださいね!

満福寺

住所:神奈川県鎌倉市腰越2-4-8

交通:江ノ島電鉄・腰越駅より徒歩約3分

TEL:0467-31-3612

腰越漁港(腰越漁業協同組合直売所)

住所:神奈川県鎌倉市腰越2-9-1

交通:江ノ島電鉄・腰越駅より徒歩約3分

TEL:0467-32-4743

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。