茅ヶ崎の史跡、鎌倉時代の逸話を偲ぶ頼朝ゆかりの「弁慶塚」

茅ヶ崎甚句にもうたわれる相州一の一之宮・寒川神社をはじめ、相模五社神社を擁する西湘地区ですが、その五社には数えられないものの、ここ茅ヶ崎にある鶴嶺八幡宮もかなり歴史深い神社です。

今日は、その鶴嶺神社一の鳥居のたもとにある「弁慶塚」についてご紹介したいと思います。

本当は、鶴岡八幡宮より古かった鶴嶺神社

「弁慶塚」の一部の碑は、鳥井戸交差点のすぐ近く、自動車販売店の横の歩道にあります。
これだけ見るとひっそりと建っているように見えますが、鳥井戸交差点とは名前のごとく、たいへん立派な鳥居のある交差点なんです。

それがこの鳥井戸交差点にある鶴嶺八幡宮の一の鳥居です。先ほどの画像の「弁慶塚」は、鳥居の向こう側、左の歩道にある松の若木の5本目から6本目あたりにあります。

現代では、こちらの参道は対面通行可能な車道になっています。それにしても立派な鳥居ですが、若宮大路にある鶴岡八幡宮の一の鳥居は、鳥居の左右を車道が分かれるように走っていますから、鳥居の中を対面通行できるほどの大きさはなかったと思います。

それもそのはずと言ってはなんですが、実は鶴嶺八幡宮は、鶴岡八幡宮よりももっと以前に建てられた古い神社なのだそうです。鶴嶺八幡宮が創建されたのが1030年、鶴岡八幡宮は1063年ということですから、およそ30年ほどの開きがあるのですね。

「弁慶塚」のもう一つの石碑

さて「弁慶塚」には、もう一つ別の碑があります。
こちらの画像、鳥居と左のアパートの間の通路を降りていくと駐車場があるのですが、突き当りの自転車があるあたりを左に曲がると、そちらの碑も見ることができます。

こちらがそのもう一つの石碑です。
砂利で整えられた敷地の一角に、観光の方用の休憩ベンチとこちらの石碑と由緒の立札が立ててあります。

義経一族の無念と頼朝の死

「弁慶塚」の由来は、立て看板にも詳細に記されています。頼朝が、相模川の橋の落成式に参列した帰り道、どうやらここ鶴嶺八幡宮のあたりで義経の亡霊があらわれ、頼朝の馬をおどろかせてしまったようです。その傷がもとで、頼朝は亡くなってしまったんですね。

さてその義経の亡霊ですが、南湖にも同じくゆかりの場所があるんです。

それが鳥井戸御霊神社です。もともとは隣接するお寺の毘沙門堂だったそうですが、この頼朝の一件を契機に、義経も合祀されたのだそうです。

そして、その後の歴史的変遷の元、御霊=「御霊を鎮める」という名が残って神社となっていったのには、やはり義経の魂を慰めようという地元の方々の深い思いがあったからなのではないでしょうか。

先日は、コロナ禍を経てやっと浜降祭も復活開催となりました。南湖といえばお神輿の盛んな土地柄で、甚句名人の即興!?の美声や海の中でお神輿を担ぐ場面といえば浜降祭の最大のハイライトでもあります。鳥井戸御霊神社をはじめ多くの方が神社を大切にされています。

「弁慶塚」や神社参拝で茅ヶ崎の歴史に触れてみるのもおすすめです!みなさま、楽しい夏休みをお過ごしください!

弁慶塚
住所 : 神奈川県茅ケ崎市浜之郷840
アクセス : JR東海道線「茅ヶ崎駅」徒歩約24分

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。